動物福祉とは、動物の心身の健全さ、そして動物の様々なニーズが満たされているかについて、科学的に検討するための概念である。国際的に使われよく知られている指標には、「5つの自由 (The Five Freedoms)」というものがある。これは、動物のニーズを5つのポイントに分類してわかりやすくまとめたものである。
5つの自由が提唱されたきっかけは、1960年代に、畜産動物を狭い場所に閉じ込め大量生産し、効率化と生産性を求めた「工場」のような生産体制について、市民より動物たちへの配慮を求める声が上がり、イギリス政府が畜産動物の福祉について調査・検討するための委員会を発足したことにある。1965年に、委員長のロジャー・ブランベルを筆頭に、委員会が提出した畜産動物の福祉に関する報告書、通称「Brambell Report」1)において記載されていた動物のニーズにかかわる文章「An animal should at least have sufficient freedom of movement to be able without difficulty, to turn round, groom itself, get up, lie down and stretch its limbs」が起源であり、これが後に畜産動物福祉審議会(Farm Animal Welfare Council, 現在は畜産動物福祉委員会(Farm Animal Welfare Committee)に代わっている)により拡大され、動物の主要なニーズ五つを列挙した現在の形の「5つの自由」に発展したのである。
動物が不快にならない環境が提供されているか。気温、湿度や床材等々、動物にとって適切な環境が整備されているか、また動物が雨風などの悪天候から身を守るための隠れ場所があるか、そして動物が置かれている環境において動物にとって物理的危険を及ぼす物が置かれていないかなどが含まれる。例えば、実験動物の管理施設や触れ合い動物園などの展示施設の中には、ワイヤーメッシュの床の動物舎の中で動物が飼養管理されている場合があるが、ワイヤーメッシュの床は動物にとってあまり居心地の良い場所ではなく、動物が過ごせる場所がこのような床材のみの場合、特にげっ歯類などは足の裏を損傷してしまうことがあり、「不快からの自由」が担保されない状況になってしまう(ワイヤーメッシュの床材にかかわる動物福祉上の提言として、米国学術研究会議発行の「Guide for the Care and Use of Laboratory Animals」(pg. 51-52)2)を一例として挙げる)。
近年、この5つの自由がさらに進化し、動物福祉の5つの領域(The Five Domains of Animal Welfare)として整理されている。デイビッド・メラ―により提唱された5)この5つの領域モデルでは、動物の福祉は身体的・機能的状態を構成する四つの領域(栄養、環境、身体的健康、行動6))と精神的体験の領域(すなわち精神状態)で構成されているとされている。栄養、環境、身体的健康、行動の身体的・機能的状態を構成する四つの領域において、動物はそれぞれプラスまたはマイナスの精神的体験をする。例えば、「栄養」の領域においては、適切な食事の欠如は、飢餓感の体験へとつながるが、適切な食事の提供により、動物は満足感や食事の味や香りがもたらす快感を体験するという具合である。
身体的・機能的状態を構成する領域それぞれにおいて動物が経験した精神的体験が、五つ目の領域である動物の精神状態にフィードバックするのである。そして、栄養、環境、身体的健康、行動及び精神状態の五つのすべての領域のプラスとマイナスの精神的体験を総合し、動物の福祉の状態が評価されるというわけである。
この動物福祉の5つの領域モデルの利点は、動物の福祉を損なうマイナスな状況の回避に主眼を置いた5つの自由と異なり、飼養管理者がより良い福祉の状態を作り上げるために積極的に行動できるような視点が取り入れられている点であると言われている。動物福祉の5つの領域モデルにおいては、すべての領域において、動物がプラスの精神的体験を経験しているか、マイナスの精神的体験を経験しているかで総合的に動物の福祉を評価する。したがって、各領域において動物によりプラスの体験や感情を経験してもらい、動物の福祉にさらに「加点」しようというマインドセットを飼養管理者側において醸成することができる枠組みなのである。
5つの自由は、シンプルで誰にでも簡単に理解できる指標であるという点が強みである。この指標を当てはめて動物のおおよその状況を推し量ることも決して複雑な作業ではない。一方、上述した5つの領域のモデルは、考え方が少々複雑ではあるものの、「マイナスの側面を取り除く」という視点だけではなく、「あらゆる側面で動物により良い体験をしてもらうために、ポジティブな側面を増やそう」と飼養管理者がより積極的に動物の福祉の向上に取り組め、さらには動物福祉にかかわる諸要素をより細かく評価できる視点を提供するものである。動物園・水族館などの動物の展示施設、実験動物施設、畜産の現場や動物保護施設など、複数の動物を専門的に管理しなければならない現場における動物のプロにとっては、より視野の広がる視点かもしれぬ。動物福祉の概念がより洗練され、理解が深まる中、これらの考え方がどのように進化していくのか、そしてそれにより、動物に対する私たちの理解や付き合い方がどのように変化するのか、今後の展望を注視していきたいところである。